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『ワイルド・スピード』脚本家、「除け者だった」「乗っ取られた」と吐露 ─ ハリウッドの裏側を語る

ワイルド・スピード
© Universal Pictures 写真:ゼータイメージ

今やハリウッドのドル箱シリーズとなった『ワイルド・スピード』。主演のヴィン・ディーゼルがプロデューサーとしてシリーズを牽引しているが、ヴィンが製作に参加したのは、2009年の4作目『ワイルド・スピード MAX』からのこと。それまでは小規模なストリートレース作品として製作されていた。

一部のファンには知られていることだが、『ワイルド・スピード』をLAの若者たちによるストリート・レース作品に仕上げたのは、『トレーニング・デイ』(2001)の脚本を務め、後に『フューリー』(2014)『スーサイド・スクワッド』(2016)などを手がけることになったデヴィッド・エアー。別の脚本家によって執筆された2001年の1作目の草稿をリライトしたエアーは、共同脚本として作品にクレジットされた。しかしエアー本人は、公開から20年以上経った今でも、とある当時の出来事をきっかけに真っ当な評価を得られていないと感じているようだ。

この度、『フューリー』で仕事を共にした俳優のジョン・バーンサルがホストを務めるポッドキャスト番組に出演したエアーは、当時の苦い思い出を回顧。ハリウッド業界の裏側について語っている。

「(今では『ワイスピ』は)ハリウッド最大級のフランチャイズですが、私には何も残っていません。何を証明できるということでもない。そういう業界ですからね。あの物語に、僕は関係ない。他の人に物語を乗っ取られ操られるようなものです。」

エアーによると、脚本の草稿を受け取った時点では、舞台はニューヨークで、登場人物たちも全員イタリア系の若者だけだったという。自身が生まれ育ったLAを舞台にしない限り引き受けられないと答えたエアーは、人種の多様性やストリートカルチャーをストーリーに組み込んでいった。

作品では共同脚本として製作に名を連ねたエアーだったが、2作目以降では呼ばれず、彼が築いた土台のみが継承されていく形に。「私はいつだって除け者でした」と語るエアーは、自身が参加しなかった“接待”の機会が、シリーズの方向性に関する決定の場になっていたと指摘。本人の知らない間に、様々な決定がなされてしまい、重要なストーリーの骨組みを作ったエアーが搾取された形となってしまった。

「私はパーティとか食事会とかそういう場所には行かない人なんです。でも、作品にまつわる問題って、そういう社交の場にいる人たちで何とかなってしまう。私はそういう場にいなかったから、周りからは根暗なクリエイティブ野郎だと思われたんじゃないですかね。」

ちなみに、『ワイスピ』製作に関するスタジオの決断については、1作目の草稿を執筆したゲイリー・スコット・トンプソンも複雑な心境を吐露していた。「僕が考えていた終わり方とは別のものを見ているでしょう。そもそも、完結させることすら考えていないんじゃないでしょうか。お金を稼ぎすぎているから」。

なお、『ワイルド・スピード』のメインシリーズは2025年の第11作(2部作後編)をもって完結すると発表されていたが、米ユニバーサル・ピクチャーズは3部作での製作も検討しているという。

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Source:REAL ONES with Jon Berntha

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SawadyYOSHINORI SAWADA

THE RIVER編集部。宇宙、アウトドア、ダンスと多趣味ですが、一番はやはり映画。 "Old is New"という言葉の表すような新鮮且つ謙虚な姿勢を心構えに物書きをしています。 宜しくお願い致します。ご連絡はsawada@riverch.jpまで。

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