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【レビュー】映画『イレブン・ミニッツ』巧みに仕掛けられた「エラー」の美

御年78歳、ポーランドの巨匠イエジー・スコリモフスキの新作『イレブン・ミニッツ』は、猛烈なエネルギーで疾走する11分間の群像劇だ。

いかにして平凡な人生に事件が発生するのか、その事件が起こす「エラー」はいかに重大かつ些細なことか。あらゆるレベルで起きる「エラー」の一部始終、その果てにある破綻を描く映画である。

ここに緻密さはない

『イレブン・ミニッツ』はそのタイトル通り、午後5時から5時11分までの11分間を様々な登場人物の視点から見せるリアルタイム・サスペンスだ。しかし乱暴にいえば、ここには「リアルタイム」も「サスペンス」もない。また、いかにも緻密に仕掛けられた脚本で魅せる群像劇でもないのである。

すなわちこの映画では、行きつ戻りつしながら、かつ時間を縮めたり引き伸ばしたりしながら描かれる11分間の総体はいっこうにつかめない。群像劇の軸足となる、わかりやすいサスペンスもないといっていい。ラストまでは平凡な人生(平板な展開)がクロスするのを必死に追いかける映画なのだ。

だがこれこそが『イレブン・ミニッツ』の企みであろう。

肝心なのは「必死に追いかけなければならない」ところで、スコリモフスキは平凡さをそのままサラリとは見せてくれない。劇中で聞こえる音の数々(せりふ、飛行機、車、犬……)や人物への極端なクローズ・アップ、奇妙な編集が目くらましとなって、観客は「今なにが起きているのか」「今は5時何分なのか」をすぐに見失ってしまう。リアルタイム・サスペンスにしてはイビツな構造だ。

また人物同士のエピソードは絡み合うようで絡み合わず、しかし完全に絡み合わないかといえばそんなこともない。思わせぶりな伏線の数々も放置されたまま物語はどんどん進んでいく。緻密というにはあまりにもずさん……だが、それでいいのである。

緻密ではない11分を生きる

リアルタイムも、サスペンスも、緻密さも放棄した『イレブン・ミニッツ』が描き出すのは「いかに11分という時間が尊いか」ということだ。

エピソードを単体で取り出してみれば平板な展開かもしれないが、わずか11分間の出来事にしてはあまりにも濃密である。11分間で人間はここまでいろんなことができるし、あらゆる思考を巡らせることができる……。あきらかにスコリモフスキは、構成と編集で観客を振り回すことで「人物たちにとっての11分間」を体感させようとする。人間の目線、スマホやパソコンのカメラ、犬の目線など、さまざまな視点から世界を切り取るところにもその意思は表れているだろう。

安心してほしいのは、『イレブン・ミニッツ』も結末ではエピソードの数々がひとつに収れんするということだ。ただしその瞬間はあまりにも唐突にやってくるし、またパズルのピースがピタリとはまるような快感を伴うものでもない。平凡な人生の数々が重なりあう「運命」が緻密に設計されていてたまるか、という声が聞こえてくるようなラストは、むしろこんなことで重なってしまうのかという衝撃をも伴う。

最後に訪れる5時11分は、時間の流れを操りながら物語を描く『イレブン・ミニッツ』のなかでもっとも美しく、また残酷な瞬間だ。

「エラー」を象徴する「黒点」

ネタバレになりかねないので過度な言及は避けるものの、劇中には宙に浮かぶ「黒点」の存在がある。最後に映画のカギを握るのはこの黒点であり、いうなれば人物たちのエピソードがクロスすること自体が「エラー」すなわち黒点なのだが……。

本記事ではこの映画が「緻密ではない」と繰り返してきたが、『イレブン・ミニッツ』が非常に巧みなのは、この黒点が物語・映像の両面で複数のレイヤーにまたがって出現することだ。いうなれば黒点は『イレブン・ミニッツ』という映画のストーリーをまるごと俯瞰しており、さらには映画を飛び出してこちらに向かってくるのである。いささか抽象的な言い方になることをお詫びしたいが、きっとラストシーンを観た方には納得していただけるのではないだろうか。

イレブン・ミニッツ』は全国の劇場で公開中。

Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。

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