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「幻」として世界を抱きしめること。宇多田ヒカルは『Fantôme』で如何にしてイーストウッドの高みへと到達したのか

 私の心の中にあなたがいる

 いつ如何なる時も

宇多田ヒカルの8年半ぶりとなる最新アルバム『Fantôme』のオープニングナンバー「道」は「あなた」に捧げられたラブソングのようであるが、彼女の生い立ちについて知識がある人ならば、連想せずにはいられない事実がある。
一つは、母・藤圭子との死別。そしてもう一つは6年間にもおよぶ充電期間中で経験した第一子の出産である。つまり、「道」で歌われている内容は故人である母へのメッセージであると共に、生まれてきた子供に対するメッセージでもある。

宇多田ヒカル史上もっとも他者が存在しているアルバム

宇野維正著『1998年の宇多田ヒカル』にて、宇野は充電前の最後のアルバム『HEART STATION』を自我の消失についての作品と解説した。自分もこの意見に同意する。ならば、『Fantôme』とは自我を再構築するアルバムなのかと、分かりやすいスクラップ&ビルドの図式を持ち出してみようと試みたのだが、どうもピンとこない。それは、『Fantôme』が宇多田ヒカル史上、もっとも他者の存在がはっきりと刻まれているアルバムになっていることに由来する。

2000年のシングル『タイム・リミット』でもGLAYのTAKUROと共作するなど、これまでにも宇多田が他アーティストとコラボレーションを行ってきた事例はある。しかし、同アルバム中3曲でコラボレーション相手がしっかりとクレジットされているのは宇多田作品で初めてのことだ。それだけではなく、『俺の彼女』や『ともだち』のようなストーリー性の強い歌詞の中で、宇多田自身とは乖離しているキャラクターの心情を歌っているのも新機軸だといえるだろう。

つまり、本作の宇多田は自我を再構築しているというよりも、自我を失くしたままで様々な他者に憑依しているといえないだろうか。フランス語で「幻」を意味する本作のタイトルを藤圭子と結びつけることは簡単だが、実際に聴きこんでいると母以上に宇多田自身が「幻」のように存在しているアルバムである。それは、ぼやけたポートレートが使われたアルバムジャケットにも象徴される。

宇多田とイーストウッドの共通点

「幻」として作品内に存在する表現者として、自分は映画監督としてのクリント・イーストウッドを連想せずにはいられない。『荒野のストレンジャー』、『許されざる者』、『ブラッド・ワーク』といった監督主演作の多くでイーストウッドは「生を引き延ばされた者」=「幻」として登場してくる。そして、「幻」ゆえの優位性を保ちながら他者に関係していくのだ。

考えてみると、イーストウッドと宇多田には驚くほどの共通点がある。まず、イーストウッドにも音楽的才能があり、ジャズ・ミュージシャンとしても認知されていること(偶然だが『Fantôme』の数曲はジャズからの影響を感じさせる)。本国外からの逆輸入スターであったこと(映画スターとしてのイーストウッドはイタリアで先にブレイクし、宇多田は別名義にて欧米でCDデビューを果たしている)。イーストウッドがセルジオ・レオーネやドン・シーゲルといった巨匠の現場で監督術を学んだのに対し、宇多田は母や音楽プロデューサーだった父の影響で音楽に目覚めたこと。イーストウッドは「硫黄島二部作」を日本人キャストで監督しているが、宇多田は幼少期と大学生活をアメリカで過ごしているなど、日米の文化混交が見られること。

何よりも、「死」のイメージが作品に大きくつきまとうことが挙げられるだろう。朝鮮戦争に従軍し、マカロニ・ウェスタンや刑事アクションのスターとして一世を風靡したイーストウッドは、自身が関わった「死」への贖罪のような作品群を残している。『許されざる者』と『グラン・トリノ』はその代表だろう。宇多田は前述した通り、『HEART STATION』と『Fantôme』の二作で「死」をモチーフにした表現を行っている。

相反する全てを包括する表現の説得力

https://youtu.be/MI8Wnt7K-r0

日米それぞれを代表するクリエイターが到達しているのは、イデオロギーや性別を超越した次元で目に映っている世界のあり方である。事実、共和党支持の白人、という典型的な保守層であるにもかかわらず近年のイーストウッド作品はアメリカの闇を暴く内容が多い。『インビクタス/負けざる者たち』のように南アフリカのラグビー代表を描いた作品もあるのだ(イーストウッド自身は『グラン・トリノ』でアメフトのシャツを着て、『人生の特等席』でプロ野球スカウトを演じるようなスポーツの趣味だ)。

トランプとクリントンの代表戦が指し示すような二元論が注目を集めやすい時代で、イーストウッドは中道ですらない、相反する全てを包括するような作品を作り続けている。「共和党に票は入れるがトランプは支持しない」という旨のステイトメントも、イーストウッドの思想が中道からは程遠いことを示す。一方で多様性は認めるべき、という信念は揺るがない。他者を認め合う世界、それは宇多田が『Fantôme』で提示している世界と重なる。

「幻」として世界を抱きしめること。30代でイーストウッドのような高みに昇ってしまった宇多田には何が見えているのだろうか?男性と女性、社会と個人、国内と国外、そして生と死。全てが共存している宇多田の作品は、日本において突出した説得力を放っている。

Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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