スタンリー・キューブリック、難解な人間像に隠れた温かみ ─ 映像『ライフ・イン・ピクチャー』から紐解く巨匠の素顔

2021年(第93回)アカデミー賞のシーズン到来にあわせて、ワーナー・ブラザースはアカデミー賞常連の巨匠クリント・イーストウッド、スタンリー・キューブリック、マーティン・スコセッシの映画製作の裏側に迫るドキュメンタリー映像を無料で配信している。いずれも、無料公開とはにわかに信じがたい、映画ファン必見の作品だ。
THE RIVERではこの3作のドキュメンタリーを連続で解説。第1回のクリント・イーストウッドに続けて、今回はスタンリー・キューブリックに迫る『ライフ・イン・ピクチャー』をご紹介する。
世界初のトーキー映画が誕生した翌年1928年に生まれ、更なる映像革命が待ち受ける21世紀を覗くことなく、1999年に急死した映像作家スタンリー・キューブリック。その70年の生涯で、短編ドキュメンタリー3本、長編映画13本、計16本の作品を遺していった。恐らく読者は、スタンリー・キューブリックという人物を、彼の作品一つひとつを通して認知してきた方が多いと思う。
ワーナー・ブラザースが「FILMMAKERS/名監督ドキュメンタリー<映画製作の舞台裏>」として無料公開中の作品『ライフ・イン・ピクチャー』は、20世紀最高の映画監督に数えられる1人のフィルムメーカー、スタンリー・キューブリックの未知なる姿に迫った2001年公開のドキュメンタリー作品だ。まさに「2001年キューブリックの旅」な本作の案内人を務めるのは、『アイズ ワイド シャット』(1999)で主演を務めたトム・クルーズをはじめ、キューブリックの家族、学友、作品の出演者、そして彼を敬愛する巨匠たち。映像旅行を終える頃には、読者は地球を俯瞰するスター・チャイルドよろしく、スタンリー・キューブリックという存在の全貌を知ることになるだろう。
無邪気な幼少期、映画監督になるまで
開業医を営むユダヤ系の両親と妹、4人家族の長男として育ったスタンリー・キューブリック。幼きキューブリック少年のあどけない姿を見ると、その鋭く険しい眼差しが印象的な円熟期や晩年のイメージとは対照的な日々を送っていたことがわかる。妹バーバラの手を優しく取りながらスケートに興じたり、部屋で無邪気に踊ったり、ピアノを弾いたり……。
父親の影響を受け、若い頃から写真に傾倒したキューブリックは、フランクリン・ルーズベルト大統領の訃報を聞いて悲しみに暮れる新聞売りの姿を収めた1枚の写真をきっかけにキャリアをスタートさせる。強いメッセージ性を見込んでこの写真を買い取った米ルック社にそのまま就職したキューブリックは、写真家としての地保を固めながらも、次のキャリア、つまり映画監督になるための経験を着々と積んでいった。

そして1950年、『拳闘試合の日』で監督デビューを飾ったキューブリック。28歳を迎えた1956年には、『現金に体を張れ』でハリウッドデビューを果たし、20歳年の離れた撮影監督ルシアン・バラードと同作でタッグを組む。それまで何十本ものハリウッド作品に携わってきたベテランだ。のちに顕著にみられていくことになる豪胆不敵ぶりは少なくともこの頃から目撃されていたようで、同作に出演した女優マリー・ウィンザーは「彼は自信に満ちていたし、怖いもの知らずだった」と当時のキューブリック青年を言い表している。「でなきゃバラードと仕事なんかできない」。
戦争映画『突撃』(1957)に続いてカーク・ダグラスと再タッグを組んだ大叙事詩『スパルタカス』(1960)では、弱冠32歳にして、ローレンス・オリヴィエやチャールズ・ロートンら、現場でいがみ合っていた大物俳優たちをまとめあげていく。若手監督にとっての大きな試練かと思いきや、妻クリスティーヌは、この時のキューブリックについて「余分なことにいっさい煩わされない人だった」と、大御所を相手にも物怖じしない人となりを語る。
その反面、カメラを置いたキューブリックは繊細な男でもあった。自己満足に終わらず、作品に対する批評・興行の結果に一喜一憂するなど、人間らしい一面を周囲には見せていたのである。『シャイニング』(1980)で主演を務めたジャック・ニコルソンは、後にキューブリック本人から聞いた話として、代表作『2001年宇宙の旅』(1968)の試写会中でのエピソードを明かす。いわく、「241人が途中で席を立ったそうだ。全部数えてたんだと思う」。18世紀ヨーロッパ貴族の生々しい実態を描いた『バリー リンドン』(1975)では、興行的な失敗に直面したキューブリック。同作で製作総指揮を務めたヤン・ハーランは、「彼は非常に悲しみ、気落ちしていた」と証言している。
完璧主義者キューブリック、その素顔

『スパルタカス』で名声を得たものの、映画監督として思うように主導権を持てない製作で屈辱も同時に味わったキューブリックは、同作を境に厳格かつ徹底的な映画作りにいっそう拍車をかけていくことになる。「彼は週7日、24時間ほとんど仕事に打ち込んでいたと思う」。『2001年宇宙の旅』の視覚効果に携わったダグラス・トランブルはかく語る。
さらに『シャイニング』では、サディスト的側面をも見せていく。狂人ジャックに追い詰められていく妻ウェンディを演じたシェリー・デュヴァルに対して、時に悪態をつきながら指示を出すキューブリック。「僕らはクソ必死なんだ」「みんなの時間を無駄にするんじゃない」と苛立ちを隠さない。過酷な撮影に1年以上も臨んだデュヴァル自身は、「彼はあれほどチャーミングで優しい人なのに、撮影中はあんな残酷なことをする」と当時を振り返る。1年以上にも及んだ撮影の間、「ほとんどの時間を叫んだり、あえいだりしていた」とデュヴァルは語っているが、劇中で見られた渾身の泣き叫びは、容赦なく迫るキューブリックに向けられたものだったのか…?ちなみに、そんなデュヴァルの阿鼻叫喚をモニター越しで確認するキューブリックは、満足げにニヤリとしている。

完璧主義ぶりはプライベートでも健在だったようで、その様相は家族とのやり取りの中にも見られる。長女カタリーナは、キューブリックがロケで家を留守にした時のことを回顧。愛猫家で知られるキューブリックはなんと、15ページにわたる覚え書きを作成したのだとか。(短編映画1本書けてしまうほどだ)。「フレディとレオ(猫の親子)がもし喧嘩したら、水をかけてフレディを抱えて逃げる」というのは第37項。「2匹を引き離すことができない場合は……水をかけて大声をあげタオルを振り回し……」など、事細かに記されていたそうだ。
一方で、“キューブリックの異常な愛情”とも言うべきか、弱った相手に対するキューブリックは、劇的な変貌ぶりだった。「動物やスタッフが病気になると超人的な活躍を見せるんだ」とは、キューブリックの助手アンソニー・フレウィンの談。同じく助手を務めていたレオン・ビターリは、寝込むほどに体調を崩した日を振り返って「そんな時の彼はすごく優しく親切だった。これ以上ないほど親切に面倒を見てくれた」と明かす。「病気じゃない時は話は全然別だが」。

また、『時計じかけのオレンジ』(1971)の公開後に生じたトラブルを巡ってキューブリックが下した決断は、彼の大胆かつ頼もしい人柄を大きく表している。同作で描かれる暴力性がイギリスの若者による犯罪を助長したとマスコミから非難され、殺害予告まで届いた際、キューブリックはイギリス全土で上映を中止にしたのだ。自身と製作スタジオにとって大打撃となるこの決断を、キューブリックは家族の身を守るために行ったのである。このとき、キューブリックは「子どもを学校に行かせるのも危険な状態で、これ以上上映したくない」と、妻クリスティアーヌに思いを明かしていたという。もっとも、アラン・パーカー監督が「上映を中止するなんて、よほど力のある監督にしかできないこと」と語っているように、映画監督としてキューブリックが持っていた影響力も忘れてはならないが。

そんなスタンリー・キューブリックに憧れを抱いてきた映画監督は数しれず。映像に登場するだけでも、シドニー・ポラック、マーティン・スコセッシ、ウディ・アレン、スティーブン・スピルバーグと、近現代を代表する巨匠ばかりだ。映像に度々登場し、キューブリック作品への愛を熱弁するスコセッシは、『博士の異常な愛情』のセクションで、興奮のあまり途中で笑いだしてしまう。ウディ・アレンは「彼は本当の意味でのアーティストだと思う。迷うことなくキューブリックを映画史上最高の監督にあげる」と感服する。
『ライフ・イン・ピクチャー』は、難解なイメージも持たれるキューブリックの知られざる一面を見せてくれる。彼と映画作りを共にした証人たちは、そのプロセスでどんなに険悪な雰囲気になっても、どんなに追い詰められても、こう惜しむ。「彼が恋しい」「もう一度一緒に仕事がしたかった」と。キューブリックは、その風貌や作風を表面的に覗けば、確かに難解な人物だったのかもしれない。しかし、彼の全貌にあったのは、その向こう側に拡がる人間としての温かみだったのだ。
第3回は、マーティン・スコセッシの映画製作舞台裏に迫る『グッドフェローズの伝説』をご紹介。4月19日に掲載予定だ。
![]() |
『2001年宇宙の旅』『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』『時計じかけのオレンジ』 デジタル配信中/ブルーレイ&DVD発売中 ブルーレイ 2,619円(税込)/DVD 1,572円(税込) 発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント 販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント |
---|