【解説レビュー】サスペンス、それともスリラー?史上最恐にスリリングな恋愛映画『ゴーン・ガール』
夫婦とは一体なんなのだろうか。『ゴーン・ガール』を見れば、そんな疑問の答えも見つかるかもしれない。
本作を手掛けたデヴィッド・フィンチャーの代表作といえば『セブン』や『ファイトクラブ』が真っ先に挙げられるだろう。一つのカットを何十回も撮り直したり、日常のワンショットをCGで表現する等、一種のパラノイアかと感じるほど映像に拘る監督で有名だが、本作もその美術が比類無きものに仕上がっている。だが、映像表現については一旦置いておこう。このレビューで何よりも伝えたいのは、今作のストーリーであるからだ。
『ゴーン・ガール』は同名の原作小説をもとに作られている。ミステリ要素が強いため、ネタバレや事前情報を出来るかぎり避けて視聴して欲しい作品だ。といっても、解説レビューを書くためにはネタバレは避けられない。なので今回は、段階的にネタバレをしながら作品を解説していく。個人的には、興味を惹かれた時点で、直ぐに映画を視聴してほしいぐらいだ。
【注意】
本記事には、映画『ゴーン・ガール』のネタバレがが含まれています。

緻密に計算された脚本、散りばめられた伏線
結婚五周年のその日、ニックが帰宅するとそこに妻であるエイミーの姿は無く、自宅には争った形跡だけが残っていた。ニックは直ぐに警察へ通報し、妹のマーゴやエイミーの両親たちと共に、テレビなどのメディアを利用して彼女の行方を捜すことになる。劇中では、ニックの妻捜しと平行して、7年前のニックとの出会いから始まるエイミーの回想が繰り広げられる。
両親が自分をモデルに出版した「完璧なエイミー」。小説に描かれた完璧な自分と、エイミーはいつも比較され続けていた。そんな折、彼女はニックと出会い、パーティから抜け出して、粉雪が舞う街中でキスをする。理想のエイミーではなく、ニックは自分自身を選んでプロポーズをしてくれた。その結婚は、小説の自分に劣らないほどロマンチックなものだった。
しかし、そんな結婚生活も徐々に軋み始めていく。不況からの失業、両親の借金。経済的な問題からニックの故郷ミズーリへ引っ越したことで、彼女は自分の居場所の無さを痛感する。ついには、子どもを作ることを拒んだ夫から暴力が振るわれる。
一方、メアリー失踪の捜査を進める警察は、やがてニックへと疑いの眼を向け始める。妻への感心の薄さ、失踪現場から検出されるルミノール反応、妻への多額の生命保険……。不審な点が次々と沸き上がっていく。果たして真相はどこにあるのだろうか?
ここまでが大雑把なストーリーのあらすじだ。予告編を見て頂ければ、雰囲気も掴めることと思う。「なんだ、よくあるミステリーでしょ? オチも予想がつくじゃないか」とか思っている方、安心してください。その予想は完全に裏切られます。いや、ほんとに。
明かされる衝撃の展開
エイミー捜索の間、ニックはしきりに携帯を気にしていた。それもその筈、彼は年下のアンディという少女と浮気をしていたのだ。その事実は妹であるマーゴすら驚愕させ、ニックはただひたすら弁明を続ける。なんとか妹と和解するニックだったが、更に新たな事実が明かされる。妻の友人から、エイミーが失踪以前に妊娠していたことを暴露されてしまったのだ。以前からニックを軽薄だと論じていたメディアにとって、その事実は彼への攻撃を強めるには十分な理由だった。
一方、捜査を続けていた警察は、新たな証拠を次々と見つけていく。焼却炉から発見されたエイミーの日記には、夫からの暴力に怯える妻の姿が生々しく記されていた。「いずれ殺されるかもしれない」、その言葉を裏付けるかのように、暖炉からは暴行に使われたらしい鈍器が発見される。
エイミーの資産を利用して購入された大量の品を前に、ニックはついに逮捕されてしまう。ミズーリには死刑制度が存在するため、有罪になれば命はない。待っているのは文字通りの死だ。
しかし、その様子をほくそ笑みながら見ている一人の女性がいた。

エイミーだ。
彼女は生きていた。自分より年下の女と浮気した夫に絶望したエイミーは、彼を陥れる計画を企てたのだ。ミズーリの妊婦と友達になり、彼女の尿を入手して妊娠検査を偽装する。高額な生命保険を自分に掛ける。出会いから結婚五周年までの日記を偽造して適度に燃やす。自分の血を抜き、室内にぶちまけて拭きとる。
そう、全ては彼女が仕組んでいたことなのだ。……が、ここまでならミステリ作品には割とよくあるオチかもしれない。この作品の凄いところは、この事実を中盤に明かしてしまうところだ。むしろ『ゴーン・ガール』はここからが本番で、妻に嵌められた愚かな夫と、狡猾でぶっ飛んだ妻の化かし合いが繰り広げられることになる。

自らの命が懸かっているため、弁護士を雇いメディアの印象を変える作戦に出るニック。姿を隠しながら、手持ちのカードを使って夫を追い詰めるエイミー。あらすじだけを見て、この展開を予想出来る人間もそうはいないだろう。しかし『ゴーン・ガール』の魅力はまさにそこにある。
この後も、ニックの愛人アンディやエイミーの元彼が登場することで状況は二転三転する。ミステリかと思えば笑っちゃうようなシーンが続き、かと思えばいきなりスリラーを思わせる演出が挟まれる。最後までまったく予想も油断もできない。
ただ、ここで一つの疑問が浮かぶ。このストーリーの意味するものは何なのだろうか。予想外の展開で観客を翻弄しているだけなのか。そもそも、『ゴーン・ガール』の根幹にあるテーマとは一体何だろうか。
やっぱりこれは恋愛映画だ
エイミーがニックに幻滅した理由は浮気をしていたからだ。だけど「完璧なエイミー」よりも好きだと言ったニックが、なぜ浮気をしたのだろう?

エイミーの独白から分かるのは、彼女が常に理想の男性を求めていることだ。彼女は自分に相応しい模範的な夫でなければ満足できない。エイミー自身も両親の理想を押しつけられていたにも関わらず、だ。そんな妻にニックは耐えられず、アンディに救いを求め、それが更にエイミーの怒りを買った。
これまでのニックは人に好かれたいと思い行動していた。しかし、それが逆に周囲の反感を買ってしまっていた。自堕落でどうしようもない夫だと印象づけられたニックは、あらゆる人間から叩かれ続ける。彼自身の立場や本心なんかお構いなしだ。妻を失った男に相応しくない振る舞いは、ついには彼自身を窮地に追い込むことになる。
しかしそんな最中、彼は行動にでる。軽薄で、浮気をする自堕落な夫だと自ら認めたのだ。ひたすら妻の身を案じ、彼女の帰りを待ち続けているとカメラのレンズを通して訴え始める。以前エイミーに接していたのと同じように、自分を偽り、他人の望む姿を演じることで、彼はエイミーへの反撃に出るのである。
友人同士だろうと、家族同士だろうと、人はいつも他人から理想の姿を押しつけられる。もしその姿を演じることができなければ、場合によっては排除されてしまう。反対に演じきってしまえば、他人をコントロールすることだってできる。そしてその関係は、夫婦でも変わりはしない。
この映画は、真っ向から夫婦という関係を描ききっている。ニックとエイミーはまさにその象徴だろう。
最終的に、彼らは再び結びつくことになる。悲劇的な状況から奇跡的に生還した妻と、かつて不貞を働きながらも誠実に生まれ変わった夫として。たとえ本心が別にあろうとも、彼等は夫婦として生活していくのだ。

エイミーのキャラも物語の展開も、非常に刺激的で現実から乖離しているようにも思える。だが、最終的にはそれら全てが、夫婦というごく日常的な関係に回帰してくるのだ。フィクションだと思って油断している観客は、生々しい夫婦の関係を見せ付けられることになる。妻の失踪を他人事のように受け止めていたニックが、散々苦しめられた挙げ句に元通りの関係に落ち着いてしまうのも、なんだか象徴的だ。
だからこそ、これは間違いなく最恐の恋愛映画と言える。
視聴するのであれば、絶対に恋人同士とか夫婦同士で見るのは避けた方がいいだろう。気まずい空気になること請け合いだ。だけど、もし視聴し終えた後に笑いながら語り合えるのであれば、二人の関係は間違いなく安泰だ。相手が理想の姿を演じていなければ、だけど。
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