【レビュー】『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』4時間の大作、劇場版からのアップデートは

劇場版との背景の違い
劇場版には登場しなかったDCヒーローも姿を見せる。既にティザー映像やインタビューで明らかにされている通り、グリーン・ランタン、その他のサプライズ・キャラクターにも出番が与えられている。これらは物語上の必然性よりも、DCファンを喜ばせるサービス精神が重視されており、劇中ではこうした演出がいくつか見られる。バリー・アレンの恋人アイリス・ウェストが登場し、ふたりの出会いがドラマチックに描かれるシークエンスは、フラッシュの能力を紹介するものとして機能はしているものの、アイリスの存在が物語に影響することはない。あくまでも後に予定されているフラッシュの単独映画への繋がりを示唆するものにとどまっているのだ(アイリス役のカーシー・クレモンズも、単独映画に出演する)。また、米公式が予告している通り、スーパーマンは黒いスーツ姿で復活を遂げるが、これも原作コミックの設定を踏襲したに過ぎない。
そもそもスナイダーカットは、その製作の経緯からして、ファンのため、そしてザック・スナイダー自身のために生まれたものと言って過言ではないだろう。劇中でこうしたサービスが見られるのは、この作品の持つ、ある意味での余裕に起因するものだ。
留意しておきたいのは、ウェドンによる劇場版とこのスナイダーカットとでは、製作にあたっての背景が大きく異なるということだ。ウェドンは途中まで他人が創り上げた企画の後任を任せられていたわけだし、当時のDC映画は今のような自由な製作にはまだ及び腰で、マーベル・スタジオに追いつけ追い越せだった。あくまで雇われの身だったウェドンは、興行収入成績とにらめっこのスタジオ側の意向を汲まなくてはならなかっただろうし、劇場公開映画という性質上、DCファン以外の大勢の一般客に通用する作品作りを求められてもいただろう。
一方のザック・スナイダーはこのスナイダーカットで、HBO Maxという登録者だけが選り好んで観られるプラットフォームを手に入れ、自分自身の創作と熱心なファンの要求に集中することができた。上映時間という制限もなくなったので、実に4時間にも及ぶ豊富な時間を取得することもできたのである。本作でのヒーローやヴィランの丁寧な造形は素晴らしいものだが、それはひとえに与えられた時間に由来する部分も大きい。2分の1の時間でまとめ上げなくてはならなかった劇場版とは根本的な条件が違うのだということは、覚えておいてもよいだろう。2作を比較することは楽しみではあるが、かといって優劣をつけるのは、あまりフェアではないと言える。(念の為ではあるが、これはジョス・ウェドンらが現場での振る舞いについて告発された騒動へ意見するものではない)。
スナイダーは、あくまでも劇場版が「正史」であると認めており、本作は『マン・オブ・スティール』(2013)『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)と合わせた、「ある意味で独立している、何にも頼らない」作品群だと話している。一時は劇場版について「ブチ壊したい」「僕がやったことを別の誰かが借りた、フランケンシュタインの怪物だ」と痛烈に批判していたスナイダーではあるが、結果として同じプロットを描き直していることもあり、やはり劇場版を無かったことにするものではないだろう。スナイダーカットは、余分な脂肪を落とし、ザック・スナイダーらしいパンプアップを経た、”別バージョン”として楽しめるものだ。長尺にも関わらず、全編目の離せない渾身作であることは間違いない。
とりわけ、再撮影によって加わったジャレッド・レト版ジョーカーの登場は大きな見どころだ。ベン・アフレック版バットマンとの対話を初めて披露するが、このヴィジランテと狂気のヴィランの表裏一体性をここまで直接表現したのは、これまでのDC映画史上でも上位に入るはずだ。
ちなみにスナイダーは本作が大型のクリフハンガー(続編へ繋がる展開の途中で結末を迎えること)で終わると予告しながら、続編を作る予定がスナイダー側にもスタジオ側にもないことを認めている。ファンの熱望によって実現したこの特別な作品で、現在ではもう予定されていない続編を示唆する結末にこだわったのだ。それでは、物語の行方は?我々は、まだまだ夜空にバットシグナルを灯し続ける必要がありそうである。
『ジャスティス・リーグ:ザック・スナイダーカット』は2021年初夏に日本でデジタル配信&ブルーレイリリース。