「ジェラルド・バトラーとは喧嘩もするが、最後はハグだ」3度目タッグの『カンダハル 突破せよ』監督が友情語る

ジェラルド・バトラー、今度は身バレした工作員?『エンド・オブ・ステイツ』(2019)『グリーンランド -地球最後の2日間-』(2020)に続く、ジェラルド・バトラーとリック・ローマン・ウォー監督3度目のタッグ作、『カンダハル 突破せよ』が、いよいよ2023年10月20日より日本公開だ。
元諜報員の実体験を基にした骨太スパイアクション。潜伏先の中東イランで原子炉破壊作戦を無事成功させた主人公トム・ハリスだが、CIAの内部告発によって機密情報が漏洩、身元がバレてしまう。救出ポイントは400マイルのカンダハルCIA基地、制限時間は30時間。複数の対抗勢力がそれぞれの威信をかけて一斉に追ってくる中、果たしてトムは逃げ切ることができるのか?
THE RIVERでは、リック・ローマン・ウォー監督に単独インタビュー取材を実施。ジェラルド・バトラーとの友情や、貴重な撮影裏話をたっぷり聞いた。
『カンダハル 突破せよ』リック・ローマン・ウォー監督 単独インタビュー

──監督とジェラルド・バトラーのタッグ作である『エンド・オブ・ステイツ』と『グリーンランド』が大好きです。『グリーンランド』では、新型コロナのパンデミックの最中にああいったディザスター映画を観るという、なかなかシュールな経験をしましたが(笑)。
ありがとうございます。『グリーンランド』、そうでしたよね(笑)。あの映画の製作中は、まさかコロナなんてものがやってくるなんて誰も思いもしなかった。撮影を終えて編集作業に入った時に、コロナ禍が来たんです。現実世界がディザスターなのに、わざわざディザスター映画を観たい人なんているのかと思ったんですけど、蓋を開けてみたらたくさんの人が鑑賞してくれて(笑)、幸運でしたね。
──本作『カンダハル 突破せよ』でジェラルド・バトラーが演じる主人公トム・ハリスは、侵入任務にあたっていたCIAエージェントです。興味深いキャラクターですが、彼の信条や、劇中でどう変化していくかについて教えてください。
僕が自分の映画で惹かれるテーマは“人間性”です。たとえ暴力的な人であっても、戦士であっても、人間性を示したい。歴史的に、映画に登場する戦士というのはいつも紋切り型で、葉巻を咥えているだとか、オイルテカテカのマッチョだとか、そういう姿ばかりだったと思います。そして、暴力に立ち向かう人々の現場で実際に何が起きているかについては、あまり触れられない。
その点、『カンダハル 突破せよ』の脚本はアメリカで実際にアメリカ国防情報局員として10年間を過ごした方が素晴らしい脚本を書いています。トム・ハリスという主人公は20年間を戦地で過ごしながら、自分のアイデンティティを探っている男ですが、今や戦争のアドレナリン・ラッシュに苛まれ、戦闘に取り憑かれています。戦闘が終結しても、自ら戦地に戻ろうとするんです。

そこに、『羅生門』手法によって別の人物、つまりトム・ハリスを追うハンターの目線が織り混じっていきます。それによって、彼らの人間性が浮き彫りになる。敵にも、彼らの帰りを待つ家族がいるんです。だから、暴力が暴力を生むということを描くために、全てのキャラクターにあらゆる面で人間性を与えました。誰が暴力を振るうか、というのはここではあまり重要ではありません。今日の友が明日の敵になりうる世界です。一般的な映画では「敵」とされるキャラクターでも、死んだ時に急に共感してしまうような、そういう見せ方が僕は好きなんです。
──『エンド・オブ・ステイツ』でジェラルド・バトラーが演じたマイク・バニングも、戦闘の後遺症に悩まされていました。『カンダハル 突破せよ』のトム・ハリスと似たところはありますか?

ジェリー(ジェラルド・バトラー)は『エンド・オブ・ステイツ』で、かすり傷も受けずに100人の相手を殺せるような役にはしたくないという感じでした。痛みのない者は真のヒーローではないと。そして、役者としての円熟味を見せつつ、もっと立体的なキャラクターにすることを望んでいました。そこで、マイク・バニングは自身のキャリアの終盤に差し掛かっていて、仕事を継続するために全力を注ぎ、さらには周囲の人々や愛する家族に嘘をついてまで、鎮痛剤を飲んでなんとかやり続けようとしている、という流れに変えたんです。ここでも、要は“人間性の付与”です。
僕が小さい頃に観て育ったアメリカ映画のキャラクターは、いつも欠陥を抱えていて、なんとか物事に対処していました。しかし今はスーパーヒーローの時代で、とにかく善人は善人、欠点がない。そして悪はとにかく悪、というふうに分けられています。
でも、現実の僕たちはそうじゃないですよね?もっとグレーな領域がある。誰もが問題を抱えていて、欠陥があって、そして戦っている悪魔を抱えている。白黒ハッキリした世界なんて、現実には存在しません。作り物です。僕はもっと現実的な、曖昧なものを描きたいと思っています。
──危険な戦地の中で、トム・ハリスは通訳のモーと友情を築きます。立場を超えた絆ですね。

この映画はサウジアラビアで撮影されました。同地で撮影された大規模なハリウッド映画としては、『アラビアのロレンス』以来初めてです。つまりこの70年の間、現地では大きな文化的な変化があったわけです。
しかしいざ僕が現地入りした時、現地の言葉が全くわからない。人も知らない。完全に異文化の外国でした。やがて、この映画には25もの国が携わることになっていきました。25カ国ですよ。だから様々な言語が飛び交っていました。
ふと、これは戦争をする人々のカウンターのようだと思いました。今作で言うと、アメリカ人がいて、イギリス人がいて、そしてアフガン人の通訳がいる。彼らは互いに言葉も違うし、宗教も違う。文化も全く違う。それでも、人生経験を共にするうち、特に死生観を共にするうち、絆というものが生まれてくるんですよ。例えば僕と君も、今はまだ互いのことを知らないけれど、十分な時間を一緒に過ごせば、お互いを理解し、共感し合えるようになるはずです。
僕はそういう題材に惹かれます。つまり、今の世の中はすごく分断されているけれど、実は僕たちは、思っている以上に近しい存在なのだということを、忘れないようにしたい。
──一人の男として、そして一人の友人として、ジェラルド・バトラーとはどんな方ですか?
彼が演じるキャラクターそのもの、という感じですよ。自分の繊細さや脆さを曝け出す事を恐れていない。多くの映画スターはそんなことなくて、お高くとまっているように見せたり、無敵な感じを演出したりします。悪いところや欠点を、なるべく見せないようにすることが多い。でも彼はもっと人間らしい側面を見せようとする。例えば『グリーンランド』で演じた、自分の不倫のせいで結婚生活が破綻していることに気づいていない男。どうすれば彼がそれを乗り越えられるか、そこに共感を覚えるわけです。今の役者のほとんどは、そういう欠点のあるキャラクターを演じたがらないんです。

しかし今作で彼が演じたトム・ハリスは戦争依存症で、戦場が彼のホームになっている。10代の娘がいて、もうすぐ卒業式だというのに、お祝いに何をプレゼントしていいかもわからない。なぜなら、娘の側にいなかったからです。我が子のことよりも、戦争のことの方に詳しいような男です。これは非常に悲劇的な題材だと思いました。世界には、戦争と向き合っている人々が大勢いる。暴力と向き合う、他の社会とは全く異なる小世界がある。彼らの愛する家族だけでなく、戦士たち自身も、どれだけの犠牲を払っていることか、ということです。
──それでは、プロの役者としての彼はいかがですか?
時々、面倒臭いところもあるんだけど、そういうところも含めて好きです。彼は気合いを入れて、素晴らしいことをやろうとする。いわゆるアメリカ的な詰め込み型のキャラクターではなく、真に挑発的なキャラクターを演じたいと思っている。僕もフィルムメーカーとして、彼同様の情熱を持っているので、彼のそんなところが好きです。
彼と一緒に仕事をするうちに、とてつもない信頼関係が築き上げられました。僕はひたすら彼を輝かせようとするし、そのことをわかっている彼の方も、僕のことを良く見せようとしてくれる。しかし、僕たちは決して現状に満足しないし、「もっと良くしよう」という気持ちを捨てることも決してない。お互いに真剣だからこそ、時には喧嘩することもあります。でも、最後は必ずハグして終わるんです。お互い、より良い映画のために頑張っているとわかっているんです。クリエイティブの質を高めあうためにね。

それがパートナーってものです。モノづくりに貢献しない人は要らない。彼はとても情熱的で、精力的で、モノづくりに一生懸命で、だから素晴らしいものができるんです。
──特定の俳優と何度もタッグを組む映画監督がいます。例えば、アントワーン・フークアとデンゼル・ワシントン、ガイ・リッチーとジェイソン・ステイサム、クエンティン・タランティーノとサミュエル・L・ジャクソンなどですね。そして、リック・ローマン・ウォーとジェラルド・バトラーでは、どのような化学反応があるのですか?
まさに化学反応の一言だと思います。自分でも説明することはできないのですが、確かに化学反応があります。僕たちは二人とも、同じタイプのキャラクターが好きで、同じタイプの物語が好きなんです。作品的にも、『エンド・オブ・ステイツ』といったポップコーン・サマー・ムービーみたいなハリウッド映画から、『グリーンランド』のようなディザスター映画までやっている。
そして今回は、7つの言語とともに中東で本作を作りました。まるで『アラビアのロレンス』です。僕たちは同じようなタイプのクリエイティブに惹かれるからこそ、一緒に新しいジャンルに挑めるんです。元々、同じ俳優との仕事を繰り返す映画監督の数は多かったのですが、最近では少なくなってきましたね。あなたが挙げた方達は間違いなくそうですし、他にもいるでしょう。
僕が思うに、お互いを引き立てるダンスパートナーが見つけられたとき、手放したくはないでしょう?このまま続けていきたいと思うはずですね。
──あなたはスタントマン出身で、アクションシーンにはこだわりをお持ちかと思います。例えばチャド・スタエルスキやデヴィッド・リーチもスタントマン出身ですが、彼らのアクションはよりマーシャルアーツ的と言えますね。あなたのアクションシーンが他と違うところはなんですか?
僕はこれまでアクションの世界に生きてきました。僕にとって、感情移入のできないアクションというのは、アクションのためのアクションでしかないんです。僕たちは、あらゆるものが爆発するようなものをたくさん見てきましたが、それとどう差別化するか。キャラクターの感情に共感できれば、それが恐怖であっても、興奮であっても、爽快感であっても、なんであっても、違ったものに見えてくるでしょう。観客の存在があってこそ活きてくるアクションです。
アクションのためのアクションというのは、僕は興味がありません。僕に言わせれば、心がこもっていない。例えそのアクションシーン5分に5,000万ドルがかかっていようと、僕はそこに愛着を感じません。そうではなく、もっと感情移入できるアクションをやりたいと思っています。
──『カンダハル 突破せよ』のアクションでは、荒野での激しいチェイスシーンがあります。もしかして、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を参考にされた?
砂漠、車、ハイスピードとくれば、ジョージ・ミラーをお手本にしないわけにはいかないでしょう!(笑)というわけで、まさに参考にしましたよ!それに、心に響いた映画としては、『アラビアのロレンス』もやはり挙げられます。自分自身とデヴィッド・リーン監督を比べるつもりは全くありませんが、ストーリーの面でね。

オリジナル版『アラビアのロレンス』は、複数の言語、複数の文化が扱われる作品で、アメリカン・ストーリーではないんだというところに、僕は強く惹かれたんです。CIAの物語ではなく、みんなの物語で、その中では誰もが平等に扱われる。その点、ジェリーのおかげによるところが大きい。多くの映画スターは大抵の場合、カメラを置くと、他人のことは忘れてしまうことが多い。でも彼はそんなことはなくて、全ての人を平等に扱うことにとてもこだわっていました。
──『エンド・オブ・ステイツ』は、ドローン攻撃のシーンで始まっていたことを覚えています。そして今作で、CIAのスーツを着た者たちは、遠く離れた司令室から、モニター越しに戦局を見つめています。つまり両方とも、現代の戦争を描いているわけですが、こういった題材に心惹かれるのですか?
僕は軍人のコミュニティとも一緒にやらせてもらうことが多くて、昔話をよく聞かせてもらいました。ブロードソード(刀剣)で斬り合うんですって。そういう暴力が、半径1メートル以内で繰り広げられるような世界です。でも今、暴力は何千マイルも離れた、遥か彼方で繰り広げられている。そこに感情的な結びつきは得られないわけです。そういうところが興味深いと思いました。というのも、現在の暴力とは、破壊の性質がまた違うタイプのものだからです。
クリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』もそうです。あの映画で描かれた道徳感、爆弾という大量破壊兵器の製造に、人がどう向き合うのかということ。そして現在の戦争、それがもたらすもの、暴力の連鎖。殺戮をもたらすのは、私の剣か、あなたの剣なのだということ。しかし現在の武器では、一度に数千の人を殺めることができてしまう。そこには責任というものがあるはずで、そういった影響や、あらゆる側の人々に共感できるものがあるんだということを伝えたいんです。
──サウジアラビアのロケ撮影では、広大な景色を存分に撮られましたね。「素晴らしい画が撮れたぞ!」と思うことはありましたか?

はい、手応えだらけです(笑)。僭越にも、同地で撮影した(大規模ハリウッド映画の)フィルムメーカーは僕が初めてということで、誰も撮ったことのないロケで撮影することができました。『アラビアのロレンス』のデヴィッド・リーン監督もここで撮ったんだ……と呟いて、ニヤニヤしてました。さっき『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の話が出ましたね。あれはナミブ砂漠で撮影しているのですが、あまりロケ地に選ばれたことのない場所での撮影というのは、大変なんですよ。でも、新たなロケ地を探すというのは、未開の地を探す冒険みたいで楽しいです。
──狙った景色を撮るために、何時間も待つ……みたいなことはありましたか?
いいえ、スケジュールを立てるので、そうはならないです。例えば劇中で、モーが息子の墓参りをする場面がありましたが、あそこでは日の出が欲しかった。カメラに収められるのは15分だけです。だから明かりが全くない、暗いうちから準備します。機材をセットアップして、役者も準備に入ります。そして日が昇るのを待つ。そして撮れたら、あとはその日の残りの撮影と、光をうまく見せてくれるハリウッド・マジックというわけです。ただ、ロケーションによっては、特定の時間帯しか撮影ができないものもあります。だから、狙った時間帯に撮れるように、しっかり段取りを考えるのです。

──サウジアラビアで初めて撮影するハリウッド映画になったということですが、慣れない地でのロケ撮影はいかがでしたか?
なかなか大変でしたよ。現地での映画ビジネスにある程度投資を行う必要がありました。例えば、通常の話をしますと、もし東京で撮りたいということであれば、現地の経験豊富な撮影クルーをたくさん見つけることができると思います。僕が一人で行っても、日本人のクルーや役者たちと現地で簡単に合流できると思います。ただ、今回は映画そのものに馴染みがない国だったので、世界25ヶ国から500人を引き連れて行く必要がありました。まるでサーカス一座でしたよ。文字通り何もない場所なので、テントも張りましたし、どうやって人々をサポートするか、どう滞在するかを考えて。それ自体がまるで映画のようでした。映画の中に映画がある、という感じで、この映画はメイキング自体が映画並に大変でした。

でも、そこに愛着が湧きます。僕はこういう、何もないところから全てを自分で組み立てるというビジネスで育っていますからね。本当に、サーカス団として街を訪れて、いろんなことをこなす感じ。最近はそういう経験もすっかりなくなって寂しく思っていたから、この映画でまたそういうことがやれて、嬉しかったんです。
──監督は、映画のレビュー記事を読みますか?
昔は読んでいましたが、最近はあまり読みませんね。最近はレビューが多すぎる。SNSの世界って感じで、もう飽和状態でしょう。プロの批評家は誰なのか、きちんと映画の背景を理解しているのは誰なのか、ソファでポップコーンを食べているだけの人は誰なのか、ネガティブなことを言ってるだけだったり、盛ったりしているだけだったりする釣り記事はどれなのか、そういうのがもうわからない。君は心配いらないよ。素晴らしい質問をありがとう。
ただ、オーディエンス(観客)スコアは気にしています。それは僕にとって重要です。ありふれた表現ではありますが、観客のために映画を作っているからです。もしも僕が作った映画にお客さんが来ない、ということであれば、それは大問題です。つまり、僕は残念ながらレビュー記事は読まなくなってきていますが、オーディエンススコアには観客からの評価が反映されるので、見るようにしています。

『カンダハル 突破せよ』は2023年10月20日、日本公開。