“『ミッドナイト・イン・パリ』のポスター、なぜ本編に登場しないゴッホの『星月夜』なのか問題”を真面目に考えてみた
みなさんはこちらの映画をご存知であろうか。Woody Allen(ウディ・アレン)監督作品、2011年公開の『ミッドナイト・イン・パリ』。ゴールデングローブ賞脚本賞、アカデミー賞脚本賞を受賞し 他にも様々な映画祭で評価され話題となった。
この『ミッドナイト・イン・パリ』、ジャケットもとても印象的だ。パリの街を歩く主人公、そして背景にはある有名な絵画が使われている。ゴッホ作、『星月夜』だ。主人公のシャツの青と空の深い青がマッチし、『星月夜』の絵のなかに入りこんでしまったかのような、芸術的で美しいものになっている。
しかし、この映画を観たことがある方は、きっとこの疑問を抱かれるはずだ。
「なぜ、作品の中にゴッホは出てこないのに、この映画のポスターにはゴッホの『星月夜』が使われているのだろう?」と。

今回はそのちょっとした疑問について、大真面目に考えてみよう。
『ミッドナイト・イン・パリ』物語の舞台、登場人物
主人公は映画脚本家で、現在小説の執筆に取り組んでいる男、ギル。婚約者とその両親と共にパリを訪れたギルは、ある夜誘われるがままに乗り込んだ車で1920年代にタイムスリップしてしまう。そこで様々な著名な芸術家たちと出会うことになる…というストーリーだ。
読書好き、絵画好きにはたまらない芸術家たちがたくさん登場するところがこの作品の魅力の一つである。たとえば、『老人と海』の作者で、ノーベル文学賞を受賞した作家ヘミングウェイ。『華麗なるギャツビー』の作者のF・スコット・フィッツジェラルド。(ちなみにこのフィッツジェラルドを演じているのはTom Hiddleston/トム・ヒドルストン。ロキの時とはまったく違う雰囲気のトムヒだが、レトロなスタイルが似合って格好いい。 )
物語の終盤、ギルは恋してしまった女性アドリアナと共に、1920年代から1880年代へもタイムスリップしてしまう。
1920年代でゴッホが登場しないのは当然だ。彼が亡くなったのは1890年であるし、時代が合わない。
しかし1880年代、ゴッホと共同生活を送ったこともある画家ゴーギャンは登場するのにゴッホは登場しない。こんなにも名だたる芸術家が登場しているのにも関わらず、ベル・エボック時代を代表するゴッホが物語に登場しないのはなぜだろう?なのになぜ、映画の看板であるポスターに使われているのはゴッホの絵なのだろう?
いや、この作品の中でのゴッホは誰なのだろう?
もしかしたら、『ミッドナイト・イン・パリ』の主人公ギル自身がゴッホなのではないだろうか。
ウディ・アレンという男
この映画の監督はウディ・アレン。『アニー・ホール』『カイロと紫のバラ』最近では『ブルージャスミン』などで知られる名監督。
彼の作る映画は独特であるし、彼自身もまた個性的な人だ。
一世を風靡した『アニー・ホール』では、監督・主演も務めている。ご覧になったことがある方は分かると思うが、『アニー・ホール』の主人公アルビーはウディ・アレンその人を見ているかのようなのだ。
ユダヤ人である彼だからこそ発せられる皮肉交じりのジョーク、一癖も二癖もあるその性格。コメディアンなのに死にとりつかれている、不器用で繊細な変わった男。その彼が『アニー・ホール』で演じた(?)アルビーと、今回の『ミッドナイト・イン・パリ』の主人公ギルには共通したものがある。

婚約者はいるものの、その婚約者ともだんだんそりが合わなくなってくるし、彼女の周りの人間とも気が合わない。彼女の両親は共産主義者なのだが、ギルは面と向かって「頭がおかしいとしか思えない」と発言するシーンがある。
『アニー・ホール』でも「典型的なアメリカの共産主義の家族」とアルビーの皮肉めいた台詞があり、ウディ・アレンの思想がそのまんまキャラクターに反映されているところがある。

服装もまたよく似ているのだ。地味なトーンで統一された出で立ち、そして2人とも好んで着ているのがチェックのシャツ。
なかなか周囲の人間とのコミニュケーションがうまくいかない、なかなか理解されない、風変わりで癖があるアーティスト気質の男…『ミッドナイト・イン・パリ』のギル、『アニー・ホール』のアルビーはウディ・アレンの一部であり、そのものでもあるに違いない。
さて、これらのことを踏まえた上で本題に入ろう。
ウディ・アレンとゴッホ

ゴッホが波乱万丈、いや波がありすぎるほどの人生を送ったことは有名だ。恋もなかなかうまくいかず、仕事での人間関係もうまくいかず、孤独な画家…。ウディ・アレンはこのゴッホに、自身の姿を重ねていたのではないだろうか。
ゴッホが『星月夜』を描いたのは、彼が精神病院に入院している時だ。ウディ・アレンも一時期、精神科に通院していたことがあったのだそう。ゴッホが絵を本格的に描き始めたのは30歳ごろ、ウディ・アレンも監督業を本格的に始めたのも30歳ごろ。
彼も幼い頃に性的虐待を受けたり、ユダヤ人であるがゆえに差別を受けたりと、ずっと苦悩と孤独感を抱えていたに違いない。
2人の創作活動にも似たようなものを感じる。ゴッホは絵を、ウディ・アレンは映画を撮ることによって自身の精神を慰め、誰にも吐き出すことのできない感情を表し、外界との独自のつながりを編み出していたのかもしれない。
そんなウディ・アレンと『アニー・ホール』のアルビー。アルビーともよく似た『ミッドナイト・イン・パリ』のギル。そしてゴッホ。
『ミッドナイト・イン・パリ』のポスターはなぜ『星月夜』なのか?それはギルが…ウディ・アレンがゴッホであるからではないだろうか。
『星月夜』はゴッホが精神を病んでいた時に描いたもの。あの絵の教会も実際にはゴッホの病室から見えなかったそうだ。
大きな月といくつかの星、そして渦巻いた不思議な空。たとえそれが本当にあったものではなくても、美しく見るものの心を惹きつける。
極限の精神状態であっても美しいものを描き出せたゴッホに、ウディ・アレンはきっと共感し思いを馳せたのだろう。そして彼の絵の中に主人公を、自分を入り込ませ、敬意をもってポスターに使用したのではないか。
映画を観ていると不思議な疑問が生まれることもある。しかしその映画が作られた背景や、監督について考えてみるとその謎も解き明かせるかもしれない。今回は私の勝手な推測だが、みなさんはどう思われるだろうか?