『見栄を張る』レビュー 主人公のもどかしさと癒しが魅力の作品【SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016上映作品】
あらすじ
絵梨子は疎遠だった姉の訃報を聞き、地元へ戻って来る。葬儀の後、絵梨子は姉が女手一つで育てていた息子・和馬を引き取る決意をする。そして姉の仕事は、葬儀で涙を誘う“泣き屋”だったことを知る。
主人公の意固地な姿に、もどかしくも共感する作品
女優の道を目指しながらも、なかなか芽の出ないまま惰性で過ごしている主人公・絵梨子。作品タイトル通り周囲に対して「見栄を張る」その姿は、観ていて様々な感情が浮かぶことだろう。
もどかしさ、イライラ、歯がゆい感じなどなど。
やきもきしてしまう場面がたくさんあるのだけれど、にっちもさっちも行かない現状に溺れそうになっている彼女には、共感を覚える人も多いはず。
そんな彼女が、姉の死と帰郷、そして姉の遺した一人息子・和馬とのふれあいを通じ、現実や時間の流れに向き合うことで、少しずつ素直な表情を取り戻していく。
…という流れにはなかなかいかないのが、この作品の面白いところ。
どこまでも意地を張り、見栄を張る彼女は、どこか滑稽だ。物事を一歩離れた視点で眺め、表情を多く見せない彼女。そんな彼女がムキになる表情だけは豊かに見せてくれるところに、ちょっとした笑いを感じてしまう。
だからこそ、物語終盤に見せる彼女のキュートな素顔には、グッと引き込まれる。

『おくりびと』とは違う、「泣き屋」という生き方
葬儀を舞台とした作品は、『おくりびと』が有名だろう。この作品では納棺師という職業を主題としており、当時大きな反響を得た。
今作では、「泣き屋」という日本の旧習に習った職業が登場する。「泣き女」「泣女(なきめ)」などとも呼ばれるこの仕事だが、実はその起源をたどると神話時代にまで遡ることができ、海外でもそうした風習はあるのだとか。
『見栄を張る』にとっての泣き屋は、主人公・絵梨子の通過儀礼のような存在だ。
これまで、どちらかと言うと見栄を張りながら自分の現実と逃げてきた絵梨子が、この職業やそれを取り巻く人々とどう関わっていくのかを、楽しみに観てほしい。

『見栄を張る』 (C)Akiyo Fujimura