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『MINAMATA』ジョニー・デップ演じる写真家ユージンは「全てを教えてくれた」、当時の妻&アシスタントが語る ─ 貴重な本人写真も

『MINAMATAーミナマター』
©︎Ishikawa Takeshi

1970年代の日本を舞台に水俣病を題材にした実話映画『MINAMATA─ミナマタ─』より、ジョニー・デップ演じる実在の写真家ユージンの関係者からコメントが到着した。あわせて、貴重な本人写真も公開されている。

熊本県水俣市のチッソ水俣工場による工業排水を原因とし、現在まで補償や救済をめぐる問題が続く、日本における“四大公害病” のひとつ水俣病。その存在を世界に知らしめたのが、写真家ユージン・スミス氏とアイリーン・美緒子・スミス氏が1975年に発表した写真集「MINAMATA」だ。ジョニー自身が長年の憧れだったと語るユージン氏。彼の遺作ともなったこの写真集を基に、ジョニ ー自身の製作・主演で待望の映画化が実現した。

1970年に通訳者として富士フイルムのコマーシャル制作の仕事に携わり、 ユージン・スミスと出会ったアイリーン・美緒子・スミス。1971年にユージンと結婚した後、水俣に移住し共に水俣病の問題について取材を行った。当時の水俣やユージンについて誰よりも知り、語ることのできる人物である。1975年、世界中で反響を呼んだユージンと連名による写真集「MINAMATA」を出版。公私ともにユージンを側で支え見つめてきたアイリーンは彼について、「私の知るユージンは、 決して諦めず、何があっても真実と向き合う人。ユージンが大事にしていた人との繋がりの大切 さを映画を通じて深く感じてもらえたら」とコメントした。

またユージンをそばで見ていたもう一人の人物に、写真家の石川武志がいる。写真学校に通っていた石川は、1971年9月にミナマタプロジェクトで来日中のユージンに東京の自宅近の路上で偶然出会い、アシスタントになった。アシスタントを務めながら、自身も水俣病に苦しむ人々を撮影した石川。1975年に渡米し、ユージンのアパートに住みながら、写真集「MINAMATA」の出版などに立ち会った。ユージンの姿を助手として、同じ写真家として見つめてきた石川は「ユージンは僕に人生に必要なことを全て教えてくれた人。僕をアシスタントとしてではなく、一人の人間として接し てくれました」と、師弟関係を超え、人間同士での深い関係を感じさせるコメントを寄せた。

1975年、ユージンの助手を辞めフリーランスになった石川は、40年にわたる取材を経て、水俣の過去と現在を写し出したフォト&エッセイ「MINAMATA NOTE 1971-2012 私とユージン・スミスと水俣」を2012年10月に出版(千倉書房)。公害病の原点である水俣病について「何も終わっていない」と自らに問いかけ撮影した。 その写真集の中からと、さらにユージンやアイリーンのプライベートが垣間見える姿を捉えた、石川だからこそ撮れる貴重な写真がこのたび一挙に公開された。ユージンが水俣で工場を前にして撮影する様子、水俣病患者に優しく寄り添う姿、溢れるほどのプリントの中で写真選びをするユージン、アイリーンとの仲睦まじい姿などが写し出されている。

『MINAMATAーミナマター』
©︎Ishikawa Takeshi
『MINAMATAーミナマター』
©︎Ishikawa Takeshi
『MINAMATAーミナマター』
©︎Ishikawa Takeshi

コメント全文

アイリーン・美緒子・スミス

私の知るユージンは、決して諦めず、何があっても真実と向き合う人でした。 映画を観た後のその想いを胸に、自分の花を咲かせてほしいです。 そして、ユージンが大事にしていた人との繋がりの大切さを、映画を通じて深く感じてもらえたら嬉しいです。

石川武志

ユージンは私に人生に必要なことを全て教えてくれた人。 私をアシスタントとしてではなく、一人の人間として接してくれました。 ユージン・スミスとアイリーンとの歴史的なプロジェクト「MINAMATA」に立ち会えたことは私の宝です。映画を通して、観客の皆様にもシェアして頂けたら嬉しいです。

『MINAMATA─ミナマタ─』は、2021年9月23日(木・祝)TOHOシネマズ日比谷他にて全国公開

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THE RIVER編集部THE RIVER

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