『MINAMATA』ジョニー・デップが憧れた報道写真家を紐解く特別映像 ─「一枚一枚に真実が示されている」

ジョニー・デップ主演・製作、1970年代の日本を舞台に水俣病を題材にした実話映画『MINAMATA─ミナマタ─』より、ユージン・スミス(ジョニー・デップ)を紐解く特別動画が公開された。
熊本県水俣市、チッソ水俣工場による工業排水を原因とし、現在まで補償や救済をめぐる問題が続く日本における“四大公害病”のひとつ水俣病。その存在を世界に知らしめたのが、写真家のユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスによる写真集「MINAMATA」である。ジョニー・デップ自身が、長年の憧れだったと語るユージン。彼の遺作ともなったこの写真集を基に、ジョニー自身の製作・主演にて待望の映画化が実現したのだ。映画では、報道写真家として功績を評価されながらも心に傷を抱えたユージンが、パートナーのアイリーンとともに水俣を訪れ、1971年から3年間現地で暮らし、人々の日常や抗議運動、補償を求め活動する様子を何百枚もの写真に収めていく濃密な日々が描かれる。
高校時代から写真家として活躍し、第二次世界大戦中、戦場カメラマンとしてサイパンや、硫黄島、沖縄戦などの激戦地を撮影。戦後も何気ない日常にひそむ人間の素顔を切り取ったフォト・エッセイで、「LIFE」のメインページを幾度も飾った。世界的写真家集団「マグナム・フォト」の正会員であり、「ポピュラー・フォトグラフィー」誌より世界の十大写真家のひとりにも選出されたフォトジャーナリズムの巨星、ユージン・スミス。そんなユージンが人生の最期に選んだ題材が水俣病だったのだ。
世界的な評価を得る一方で、彼は戦争で心と体に大きな傷を抱えていた当時、水俣の状況に衝撃を受け、1971年から3年間、パートナーのアイリーン・美緒子・スミスとともに水俣市に移住。患者さんの家や病院、抗議集会や裁判所、チッソ東京本社前の座り込みの現場など、水俣病をめぐる様々な現場でカメラをかまえつづけた。水俣の人々と交流しその飾らない人柄で友情を芽生えさせていくユージン。デップが「ユージンの写真に惹かれ続けたのは、一枚一枚にいつも真実が示されているから」と想いを語るように、彼がとらえたのは人々の苦悩の瞬間に浮かぶ一瞬の命の輝きや、困難を乗り越えようとする固い絆だった。ユージンが亡くなる3年前の1975 年にアイリーンと共に発表した、遺作「MINAMATA」(日本語版1980年出版)は世界中で大反響を呼び、“水俣病”を知らしめる大きなきっかけとなった。
映画『MINAMATA─ミナマタ─』は、2021年9月23日(木・祝)、TOHOシネマズ日比谷他にて全国公開。