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なぜ刹那的に生きるのか?『ノクトラマ / 夜行少年たち』レビュー

東京国際映画祭 ワールド・フォーカス部門上映作品「ノクトラマ 夜行少年たち」レビュー。

物語は、パリの地下鉄の場面から始まります。
あちらこちらから青年たちが集まり、地下鉄に乗り込み、そして降りてゆく。顔を見合わせ目配せをするものの、言葉は何も交わさない。
人種も性別もバラバラな彼ら。ごく普通の、大学のクラスで隣に座っていてもおかしくない彼ら。しかし彼らは皆思いつめたような、何かに怯えているような緊迫した表情をしています。「絶対に何かやらかそうと考えてるんだな」と私たち観客が予感する”訳あり”感満載の青年たち。

彼らはある目的のために集まり、そして実行し、夜になると1つのデパートに集まる・・・「ノクトラマ 夜行少年たち」は 彼らの目的がいかにして果たされたのか、そして閉鎖されたデパートでの真夜中から明け方までを描いた刹那的な物語です。

誰でも1度は考えたことがあるはず。大きなデパートや某有名テーマパークで「どこかに隠れて、閉館したあとも居座れないものかなあ」と。私もこの「ノクトラマ」のあらすじを読み、”夜のデパート”という言葉に思わず心を惹かれてしまいました。「1度はやってみたいけれど絶対できないことをこの映画で観れるのか!」と。でも観終わったあとはそんなワクワク感もどこへやら、私も彼らと同じように、そのデパートに心を置いてきてしまったような そんな放心状態になりました。

彼らの目的、デパートでの行動。作品を通して”現代の若者”を感じさせるポイントがたくさんありました。
今はSNSを使用している人がほとんどだと思います。私自身も毎日使いますし、頻繁にチェックしてしまう癖がついつい。何でも見ることができるし、知ることもできるけれど でも結局は”画面越し”のこと。現実だけれど、現実かもしれないけれど、SNSで見ていることは どこかで他人事だと思ってしまうことも。

そしてそんな他人事の世界と認識しているからこそ、自分が発する言葉や行動に重みを感じられないことも。ネットが原因で取り返しのつかない事態になるという事件も、今はたくさん増えていますよね。
この映画の主人公たちも一緒。自分の行動が、ふとした衝動が、どのくらいの影響力を持っているのかきちんと理解していません。

そしてたくさんの人と繋がっている人といても、”画面越しに何かを見ている”時は私達は1人なわけです。自分という閉鎖された空間の中に閉じ込められている。このデパートにこもっている彼らのように・・・

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今まで思春期、青年期の衝動的な行動や 説明しがたい複雑な感情、沸き起こる攻撃的なまでのエネルギーを描いた作品はたくさんあったと思います。「トレインスポッティング」「スプリング・ブレイカーズ」どれも私達は、私も経験したことない内容ですけれど どこかその作品に登場するキャラクターたちに 自分を重ねてしまうはずです。そしてその行動の意味や感情を理解できてしまうことがあるはず。

大人と子供の境目、自分で自分が分からない時期。世の中が、人間が分からない時期。バカで単純でそのくせやたら考えこんで、突発的に変なことを思いついて。言葉にできない感情が次から次へと増えて。

そんな誰もが経験する青年期の心のエネルギー。これから先も、そんな青年たちの葛藤や行動を描いた映画はたくさん出てくるでしょう。そのたびに「何でこうなった?彼らは何を考えていた?」と考えさせられ そして自分と重ね合わせ、自分を見つめ直し 自分の心に眠る感情や衝動と向き合うのでしょう。

目に見えないエネルギーですが、実は社会全体に大きな塊となって流れ 左右しているものなのかもしれません。

夜のデパートで彼らは何を求め、何を満たそうとし、そしてどこへ行き着くのか。彼らは何の意味を持ってその行動をとったのか。
「ノクトラマ 夜行少年たち」日本での公開はまだ未定ですが、東京国際映画祭では10月31日にラスト上映予定です。お時間ある方はぜひ観て頂きたい作品です!

 

Writer

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Moeka Kotaki

フリーライター(1995生まれ/マグル)

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