【解説レビュー】『スパイダーマン:スパイダーバース』がヒーロー映画で初めて使った「反則級の魔法」とは

バットマン、スーパーマン、ウルヴァリン…。アメコミ・ヒーローは孤独な存在である。そして、その孤独とはつまり、「理解者がいない」という生い立ちにつきるのではないか。たとえば、一見華やかな世界に生きているように見える映画『アイアンマン』シリーズのトニー・スタークでさえ、アベンジャーズと分かり合えているとは言いがたい。彼らのすれ違いが『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)のアベンジャーズ分裂を生んだ。正義のヒーローにとってもっとも厄介な敵は、別のヒーローだったのである。
だからこそ、『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018)はとても感動的な映画だ。本作には本当の意味での思いやり、相互理解、リスペクトがヒーロー同士で交わされている。彼らはお互いに支え合い、大きな目的のために共闘するのだ。それもそのはず、この映画に出てくるヒーローは全員がスパイダーなのだ。
1作品に集結したキワモノのスパイダーたち
言うまでもなく、スパイダーマンはアメコミの中でもトップクラスの人気を誇るヒーローである。そのため、スパイダーマンはメディア展開やスピンオフ企画が凄まじく多いコンテンツとなった。2018年のヒット作、『ヴェノム』も元々は『スパイダーマン』シリーズに登場するヴィランだ。そして、『スパイダーマン:スパイダーバース』では異なる作品で描かれた別々のスパイダーマンが、1作品の中に集結した。

本作では、世界中でおなじみのスパイダーマンの正体、ピーター・パーカーが準主役の立ち位置で描かれている。しかも、別時空から来た中年太りの冴えない男として。あくまで主役はマイルス・ラレス。ピーターよりも知名度は低いが、主役を務めたコミックもある列記としたスパイダーマンだ。ヒロインとなるのはグウェン・ステイシー。映画ファンには『アメイジング・スパイダーマン』シリーズにおける、ピーターの恋人として知られている。しかし、彼女もまたコミック版でスパイダーグウェンとして戦った経歴があり、本作のスパイダーの1員だ。
さらに、メカ・スーツを操るペニー・パーカー、昔の犯罪映画調のスパイダーマン・ノワール、ギャグテイストで描かれる子豚のピーター・ポーカー…全員が、コミック版では登場済みのスパイダーばかりである。もっとも、人気と登場作品数ではピーター・パーカーに水を開けられているのだが。
ヒーローよりも豪華なヴィランたち
キングピンの陰謀によって開けられた異次元の扉から、各次元のスパイダーたちは召喚された。しかし、肝心のピーター・パーカーがいない。オッサンのピーターではなく、若くてウィットに富み、正義感の塊だったピーターが。そう、『スパイダーマン:スパイダーバース』は、ダントツで一番人気の主人公、ピーター・パーカーの死によって始まる物語である。本作が下敷きにしている古典文学、『大いなる遺産』が墓地からはじまるように。残されたスパイダーたちは中年版ピーターも含め、キワモノ集団でしかない。特に、ヒーローの能力を得たばかりのマイルスは苦悩する。自分はピーターの代わりになれるのか、と。
エースのピーターを失ったスパイダー・チームと比べて、本作のヴィランはなんと豪華なことだろう。キングピンのほか、ドクター・オクトパスも現れる。実写版の最高傑作と名高い『スパイダーマン2』(2004)のヴィランとして有名なマッド・サイエンティストだ。怪力のグリーンゴブリンも、スコーピオンも、プラウラーやトゥームストーンまで!はっきりいって、2019年現在ではマイルスよりも世に浸透しているキャラクターばかりだ。画面に映ったときの「本物度」は、スパイダーたちよりも強い。対するスパイダーたちの拭えない「パロディ」っぽさときたら…
ヒーロー映画が好きな人なら、一度は「ヒーローよりもヴィランのほうが魅力的」という言葉を聞いたことがあるだろう。『スパイダーマン:スパイダーバース』を見れば、そんな説が広まった理由も頷ける。ヴィランには迷いがない。ヒーローとしての資格があるか悩み続けるマイルスと違い、本作のヴィランたちの行動原理はわかりやすい。キングピンは、死別した最愛の妻子を取り戻すため、多くの犠牲を払ってでも異次元の扉を開けようとしている。ドクター・オクトパスは純粋な科学者としての興味からキングピンに付き合っている。キングピンの部下は全員、ボスに忠実だ。「何のために戦うか」など考えもしない。
ヒーローは脆い。普通の少年として育ってきたスパイダーマンは、特に。『スパイダーマン3』(2007)では闇落ちしたピーター・パーカーが描かれていたが、ああいった展開も主人公が未熟である証である。そんな精神力で、ヒーローとしての責任を背負わされるのだから、悩むのも無理はない。しかも、アメコミのお約束として、誰にも本音を語ってはいけないのである。アメコミ史上、もっとも憎まれ口が得意なヒーローは、もっとも孤独なヒーローでもあるのだ。
名乗る覚悟さえあれば誰もがスパイダーマンになれる
『スパイダーマン:スパイダーバース』を感動的な映画だと評したのは、おそらく、アメコミ映画史上はじめて、ヒーローの孤独が完璧に埋め合わされたからである。しかも、馴れ合いや錯覚ではない。何しろ、彼らはみんなスパイダーなのだ。相手の悩みを自分のこととして受け止め、一緒に悩むことができる。悲しみも苦しみも軽くしてやれないが、理解はしてやれる。大切な人を亡くして落ち込んだマイルスにスパイダーたちは声をかけた。「自分たちもそうだった」と。どんなに愛し合っている恋人でも、血を分けた家族でも、こんな台詞は言えない。同じスパイダーにしか口にはできないのだ。
もちろん、そんなことは現実にはありえない。『スパイダーマン:スパイダーバース』の設定は反則級の魔法といえるものだ。だから、スパイダーたちは元の時空に帰ろうとする。魔法はいつか解けてしまう。孤独は再び訪れる。マイルスはピーター・パーカーにはなれなかった。しかし、彼は紛れもなくスパイダーマンだ。ほかの全員がスパイダーであったように。
『スパイダーマン:スパイダーバース』はヒーローの意味を観客に教えてくれる。ヒーローの条件とは、人気やビジュアルや能力で決まるのではない。自分がヒーローを名乗る覚悟があるかどうか、それだけだ。私やあなたも、どこかの時空ではスパイダーマンになっているかもしれない。自分がリアルかフェイクかなんて誰にもわからないのである。
映画『スパイダーマン:スパイダーバース』は2019年3月8日(金)より全国公開中。
『スパイダーマン:スパイダーバース』公式サイト:http://www.spider-verse.jp/