ケチの付けどころがほとんどない!ローマ発フィルム・ノワールの新たな傑作『暗黒街』レビュー【SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016上映作品】
オスティア・アンティカの栄光を再び
新鋭ステファノ・ソッリマ監督の長編映画第2作『暗黒街』は、まぎれもなくイタリア映画界だけでなくフィルム・ノワールの歴史にその名を刻む傑作です。監督はTVシリーズ『ゴモッラ』にてナポリのマフィアを、そして『ロマンゾ・クリミナーレ』にて本作と同じくローマのマフィアを描いてどちらもヒットさせており、本作『暗黒街/suburra』にて満を持して長編映画で円熟したその手腕を示すことに成功しています。
ローマ郊外の静かな港町オスティアを舞台に、自らの利権のため再開発計画承認法案を手段を選ばず通そうとする暗黒街の住人たち。しかし、一人の少女の死をきっかけに狂いだした歯車は、やがて関わる全ての人間を破滅の奔流へ引き摺り込んでいきます。
2011年11月12日、イタリアのベルルスコーニ首相が辞職を表明した日を『アポカリプス(黙示録=終末・主の再来)』と位置づけ、その直前の一週間をカウントダウンする形で物語は進行します。主人公らしい人物を配置せず、多数の登場人物を巡回するオムニバス映画ですが、語られる物語の展開に沿って場面が移動するので、観客が置いてきぼりにされることはありません。フィルム・ノワールをはっきり意識して撮影されている映画ですので、自然、画面は『夜』の場面がほとんどですが、屋内での殊更に暖かな色の照明や、合間に挟まれる木漏れ日の緊張が解けるようなショット、アドリア海の美しい海岸線や砂浜のショットなどにより印象が重苦しくなりすぎないよう配慮されています。
と、いうのも本作は暗黒街『原題suburra(古代の貧民街)』と銘打ち、その世界で生きる悪徳政治家やマフィア、娼婦などを描いてはいますが、それぞれの人間性を深く掘り下げ、若いギャングが垣間見せる偉大な父を超え、自らが育った愛する街を大きくしたいという少年のような願望や、非力故に裏切り者となってしまう人間の矜持、薬漬けになり破滅を待つばかりの少女の最後に残った人間らしい感情の発露などをフェアに描写し、切なく、どこか爽やかな、まるで上質な青春映画のような魅力をも内包させているからではないかと思います。
また劇伴の使い方も、この”青春映画らしい”表現に一役買っていて非常に印象的でサントラが欲しくなりました。脚本、撮影、編集、照明、音楽どこをとっても、ケチのつけどころがほとんどなく、多少エロティックな場面や当然のことながらバイオレンス描写はありますが、決して過剰なものではないので、万人に鑑賞して欲しい作品です。
時代背景
本作の時代設定である2011年はイタリアにとって受難の一年でした。まず経済面では、ギリシャに端を発したユーロ危機がイタリアまで波及、国債の利回りは危険水域の7%へ迫る勢い、債務不履行を回避するため政府はEU主導の緊縮策を進めようとしますが、これに世論は猛反発、政治面ではこの重要な難局を政府主導で乗り切らねばならないところに、肝心のリーダーであるベルルスコーニ首相は、相次ぐスキャンダルや汚職疑惑に塗れ、政治への国民の不満・反感はピークに達していました。
また精神的支柱であるはずのカトリック教会、バチカンは法王自らの問題発言や、映画『スポットライト』で描かれていた司祭や修道士による児童への性的虐待問題などによって、こちらもかつてないほどの激震に見舞われ、その基盤が揺らいでいました。今作の時代から2年後の2013年、ローマ法王ベネディクト16世が600年ぶりの生前退位(法王は事実上終身制でした)したのは記憶に新しいところです。このように政治、経済、宗教の各方面で八方塞がりの状態になってしまっていたイタリアが本作の背景です。
舞台
本作の舞台、オスティアはイタリアの首都ローマから西へ25kmほどテヴェレ川河口部のティレニア海沿いにある人口85,000人ほどの中規模な港町です。かつて古代ローマ時代は、ローマの外港として栄華を極めました。現在はその当時の遺跡で観光名所『オスティア・アンティカ』と、夏になるとローマ市民が押し寄せるビーチで有名です。
『暗黒街』 (C)LA CHAUVE SOURIS / (C)INDIE SALES