【レビュー】『クーリエ:最高機密の運び屋』カンバーバッチの共依存がつくる緊迫のサスペンスに海外メディア絶賛

今なお人類文明が続いているのは、『クーリエ:最高機密の運び屋』で描かれる2人の男、グレヴィル・ウィンとオレグ・ペンコフスキーの秘密の信頼関係があったからといっても、ほとんど過言ではない。1960年代、キューバ危機によって第三次世界大戦の勃発が目前に迫っていた裏で、核戦争を命がけで防いだ2人の真実の物語が本国イギリスで公開され、話題を呼んでいる。
SF映画の世界では、巨大隕石や宇宙人の襲来、はたまた不思議な力を持つ魔法石などによって、この世界はしばしば滅亡の危機に晒される。しかし現実の世界は1960年代初頭、本当に一度滅亡の危機に瀕したことがある。それが1962年の「キューバ危機」だ。アメリカとソ連が対立した米ソ冷戦の中で、ソ連が友好国キューバに核ミサイルの配備を進めていた事件である。キューバといえば「アメリカの裏庭も同然」の位置にあり、核攻撃まで秒読み段階とも言える、極めて緊迫した状況となった。
「むかし母が、キューバ危機の時は本当に核戦争が始まるという感じだったと言っていました」とは、本作監督のドミニク・クック(1966年生まれ)による談である。「その時は、広島・長崎で核爆弾が使われてから、まだ17年しか経っていなかった。それが人々の頭の中にあったんです。当時は、本当に現実的な危機だったのです」。最終的にアメリカがキューバ海域を封鎖し、両国間で冷静な交渉が行われた結果、ソ連がミサイルの撤去に同意。核戦争という人類最悪の事態は、すんでのところで免れたのであった。
この裏側で「最高機密の運び屋」のスパイ任務に挑んでいたのが、イギリスの一般セールスマン、グレヴィル・ウィンだった、というあまり広く知られていない逸話を描いたのが、本作『クーリエ』だ。『ドクター・ストレンジ』(2016)はもちろん、『裏切りのサーカス』(2011)などでおなじみベネディクト・カンバーバッチが演じるこのグレヴィル・ウィンという男、スパイ経験など一切持たないごく普通のセールスマンだったところ、まさに”ごく普通”ゆえの目立たなさからCIAとMI6に目をつけられ、ソ連との間での機密情報の”運び屋(クーリエ)”役を任されてしまう。「普段どおり」に「ソ連で新規顧客を開拓」してほしいと。

ウィンはビジネスを装ってモスクワに飛び、科学委員会を相手に無難にプレゼンを済ませる。その応対をしたソ連側のオレグ・ペンコフスキーという男が、彼がスパイであることを察し、ランチに誘ってこう尋ねる。「酒は強いか?」
かくして、2人の秘密の交際が始まる。ウィンがボリジョイ・バレエ鑑賞でもてなされると、そのお返しとしてペンコフスキーはロンドンに招かれ、表向きは飲み会などのビジネス交流。その裏で2人は密会を重ね、ペンコフスキーはソ連の軍事情報を西側に流す。1人の人間として平和を求めたペンコフスキーは、東西の軍事衝突を防ごうと必死だったのだ。

自分の仕事が核戦争に関わるものと知ったウィンは恐れをなして任務を拒絶するが、彼の能力を見込んでいたペンコフスキーの説得によって、スパイとしての覚悟を決める。やがて、ソ連がキューバに核ミサイルを配備している事実が発覚。ウィンとペンコフスキーの決死の任務によって、その情報は次々と西側にもたらされていく。しかし、あまりにも過酷な運命が、2人の友情を引き裂き、史実は衝撃的な結末へと向かっていく……。
ウィンとペンコフスキーを「秘密のロマンス」になぞらえて
冷戦の史実を題材とした堅実なスパイ映画ではあるが、『クーリエ』はスピルバーグ監督作の『ブリッジ・オブ・スパイ』(2015)のようなスペクタクルさは抑え、イギリス側のウィン、ソ連側のペンコフスキーの秘密交際に焦点を当てている。それはまるで禁断の関係に急降下していく不倫恋愛のようで、実際に監督のドミニク・クックは、2人の姿について不貞を描いた映画『逢びき』(1945)になぞらえている。「グレヴィル(・ウィン)とオレグ(・ペンコフスキー)は、誰も知らない秘密の関係だからこそ、燃え上がるようなところがあるんです」と、監督は筆者の取材で話した。「もちろん性的なロマンスの関係ではありませんが、この深い繋がりには秘密のロマンスに通じるものがあると思います」。

当然ながら恋愛映画とは違い、ウィンとペンコフスキーは互いに感情的な高ぶりを抑えなければならない。外から全く悟られないように交流を続けなければならないからだ。酒に酔ったふりをした飲み会の後にこっそり落ち合ったり(だからこそ、はじめに「酒は強いか?」と尋ねたのだ)、駐車場の暗闇にまぎれて書類を託したり、2人きりになれる場所を探して身を寄せ合って耳打ちしあったりする。
これは海外メディアも注目する見どころだ。2人の間には「秘密のロマンスのような際どいオーラ」があると見ているのは米Vultureの記事。2人の絆について「プラトニックな愛」と表現し、これが物語の後半になると「重要な意味を持つようになる」と分析している。「ペンコフスキーとウィンの関係が共依存的になっていくことで、サスペンスを構築している。一方がもう一方の鍵となり、それが2人の友情の転機に、さらなる緊張感をもたらしている」。
また英Independentも、本作はキューバ危機の実態に迫るよりも、それを背景にしながら、政治体制を越えた「2人の男の絆の成長」に焦点を当てていると評している。「(ウィンが)ペンコフスキーと初めて会うところは、まるで初デートのように浮ついている」。
英Empireも「ある種のラブストーリーだ」とレビューしながら、「彼らは捕まってしまうのか、収容所に送られてしまうのか、あるいは処刑されてしまうのか、どうなってしまうのか」とサスペンス部分への興奮を続けている。つまりこの作品、「ジェームズ・ボンドのリアルな姿」と評される実話スパイ・サスペンスに、秘密のロマンス、またはブロマンスのエッセンスを加えて、重厚かつビターな味わいに仕立てているのだ。

極限状態 カンバーバッチの名演技
監督に聞くところによると、1960年代当時のイギリス人、特にウィンのような中流階級以上の人々は非常に自制的で、自分の思っていることをあまり表に出さない性格だった。これに忠実でありながら、彼らの内面にある深い感情や葛藤を描き出したかった監督にとって、経験豊富なベネディクト・カンバーバッチは信頼に値する俳優だったようだ(おまけに、監督は以前にカンバーバッチの舞台「リチャード三世」の演出も行っている)。
本作でのカンバーバッチは、隠密行動を続けるスパイという役どころもあり、オーバーな感情表現や説明的なセリフは許されない。しかし、もともとは諜報活動やらCIA・MI6やらとは全く無縁の、ごく普通のセールスマンなので、時には緊張で思わず汗ばんだり、つい感情が噴出してしまったりする。まるでコップになみなみ注がれた水をこぼさないようしながら綱渡りに挑んでいるようであり、この緊張感はしばしばセリフ以外の余白、たとえば何かから防御するように無意識的に結んだ口元や、わずかに忙しない歩調などを伝って醸し出されている。

立場を超越した禁断の絆の相手役となるペンコフスキー役を演じたメラーブ・ニニッゼも見事だ。いかにも堅物そうな中年男性だが、祖国に疑問を抱き、危険を顧みずウィンとの接触を重ねていく姿をスリリングに好演。『ブリッジ・オブ・スパイ』にも出演していたニニッゼの本作での演技は、米Vultureの言葉をそのまま借りるなら、「ほんの数回の視線だけで、小説一冊分の情報を目で伝えている」。
長編監督デビュー作『追想』(2017)でも、1960年代のカップルの新婚旅行を主軸に、過去と現在を交錯させて淡く切ないヒューマンドラマを浮き上がらせたドミニク・クック監督は、今作『クーリエ』でも西側と東側の内情や、任務に挑むウィンらと、それを指示するCIAとMI6の立場といった両極の視点を通じ、歴史に埋もれた決死のドラマを立体化していく。劇的な転換を迎える第三幕では、カンバーバッチの一世一代の熱演を見ることができるだろう。カンバーバッチがこの役のために捧げた覚悟の姿を見て、監督は「罪悪感すら覚えた」とまで言うほどだ。
こうした演技を、光と影のコントラストと共に映し出したのは、『それでも夜は明ける』(2013)などスティーヴ・マックイーン作品で知られる撮影監督のショーン・ボビット。演劇畑のクック監督とは抜群の相性を見せ、前作『追想』からの再タッグとなっている。編集段階に入ると、監督は「何をどこまで見せるべきか、何を見せないべきか」を長い時間かけて計算したという。
誰もが共感できる 立場を越えた友情物語
米ソ冷戦を題材にした映画と聞くと、小難しそうで、あまり直感的には楽しめない映画と思われるかもしれない。しかし本作で色濃く描かれるのは、本稿で述べてきたように、イギリスとソ連、立場を越えた2人の男の感動的な友情物語だ。2人は共に家族を持っており、その平穏無事な日々を願っている。この思いは平和への願いに通じ、国も文化も違うはずの2人を絆で結んでいく。だからこそ、この歴史ドラマは観るもの全ての心を強く揺さぶるはずだ。実際に、本記事時点の米Rotten Tomatoesで本作は、カンバーバッチ出演作の中で最も高い観客スコア(95%)で評価されている。
いつだって称賛されるのは、既に起こった危機を解決した人々だ。映画のヒーローは、得てして人類滅亡の事態に陥った後になってから現れ、ギリギリのところで世界を救っては崇められる。しかし、そもそもの危機の発生を未然に防いだ人々の物語は、あまり語られていない。私たちの世界を極秘裏に救ってくれた、グレヴィル・ウィンとオレグ・ペンコフスキーの真の英雄譚を描く『クーリエ:最高機密の運び屋』は、2021年9月23日(木・祝)、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー。
Source:Vulture,Independent,Empire,Rotten Tomatoes