『tick, tick… BOOM!: チック、チック…ブーン!』が寿ぐ刹那的青春 ─ ミュージカルの鬼才3人、奇跡のコラボレーション【レビュー】

何かを成そうとして、脇目もふらずに自分の道を突き進み、そのために大切な人を傷つけた。きっと、人生のどこかでそんな経験をした人は少なくないだろう。それが人生を賭けた夢であれ、あるいは学校の部活であれ、もしくは情熱的な恋愛であれ。
Netflix映画『tick, tick… BOOM!: チック、チック…ブーン!』は、そんな人々がかつて過ごした、もう戻らない刹那的な青春を寿ぐ“伝記ミュージカル”だ。監督はブロードウェイ・ミュージカルの超人気作『ハミルトン』『イン・ザ・ハイツ』のリン=マニュエル・ミランダ。本作が堂々の映画監督デビュー作となった。
ブロードウェイの伝説、その人生に迫る
物語の主人公は、ブロードウェイの常識を覆すような新たなミュージカルを生み出そうとしている若き才能ジョナサン・ラーソン。ダイナーでのアルバイトのかたわら、新作の試演会を前に創作に励んでいるジョナサンは、まもなく30歳の誕生日を控えていた。焦りを抱える彼の脳内では、時計の針が音を立てている。チクタク、チクタク、チクタク。
若者という季節が終わりを告げようとする頃、ジョナサンの幼馴染であり、ルームメイトのマイケルは俳優の夢を諦めて高給取りの広告マンに転身。かたや、元ダンサーである恋人のスーザンは、ニューヨークを離れて自分の仕事を見つけようとしていた。スーザンの懸念は、恋人の夢をいつまで一緒に応援できるのかということだ。

主人公のジョナサンは、何を隠そう、本作『tick, tick… BOOM!』の原作者だ。ロック・ミュージカルの金字塔として愛される傑作『RENT/レント』を生んだジョナサンだが、同作の公演初日だった1996年1月25日の朝、大動脈解離のためにこの世を去っている。
その6年前、1990年にジョナサンが上演した自伝的作品が『tick, tick… BOOM!』だった。当時、長年かけて準備してきた作品『スーパービア』の製作が叶わなかったことに失望したジョナサンは、自らの思いを込めた「ロック・モノローグ」として本作を上演。没後の2001年には、作家デヴィッド・オーバーンによって3人芝居のミュージカルとして改作され、『RENT』と同じく上演が重ねられてきた。
映画版のストーリーは、2001年の3人芝居版を基にしながら、そこに大幅な脚色を加えたものだ。なにしろ、原作にあたる舞台『tick, tick… BOOM!』は劇中劇として扱われており、物語は実際のジョナサン自身に焦点を当てていくからである。本作は自伝的ミュージカルである原作を介した、ジョナサン・ラーソンの伝記映画だと言うほうが正しいだろう。
監督のリン=マニュエル・ミランダ、脚本家のスティーヴン・レヴェンソンは、原作舞台のエピソードを大胆に整理し、構成を入れ替え、そこにジョナサン自身の経験や逸話を織り込んだ。『RENT』はマイノリティやエイズをテーマに取り入れた作品だったが、それらはジョナサンが身近に接してきたもの。本作にはそうした要素もしっかりと書き込まれ、いわば『RENT』の前日譚のように観ることも可能だ。劇中のナンバーには、『tick, tick… BOOM!』のものではない楽曲も含まれている。
とても特殊で、とても普遍的な青春
映画版の脚色は、ジョナサン・ラーソンという稀代のクリエイターの人生を掘り下げつつ、その特殊な環境や人物像に普遍性を与えている。たとえばジョナサンは、自分の創作が評価されないことに焦りながらも、新作に必要な最後の一曲をなかなか書き上げることができない。そのために創作を優先しては恋人を蔑ろにし(あるいは創作を言い訳にして恋人に向き合わず)、また、夢を諦めた友人にはつらくあたってしまうのだ。
スーザンやマイケルとの距離が少しずつ開く中、ジョナサンには強い記憶が去来することにもなる。それは大学時代に、ブロードウェイの“伝説”である作詞家・作曲家のスティーヴン・ソンドハイムに才能を褒められたこと。その言葉を支えにすることで、ジョナサンは創作に打ち込むことができたのだ。

ジョナサンの振る舞いや心理状態は──たとえ創作が生業でない人でも──きっと身に覚えがあるものだろう。もっとも、がむしゃらな日々を懸命に続けたとしても、それが必ずしも報われるとは限らない。事実としてジョナサンは、成功作にして遺作となった『RENT』の公演初日に立ち会うことができなかったのである。
それでもリン=マニュエル・ミランダは、本作でその刹那的な青春を、あらゆるものを犠牲にした29歳の日々を、彼の人生を精いっぱい寿ぐ。なにしろリン自身も、また脚本家のスティーヴンも、舞台の世界に足を踏み入れたきっかけのひとつが『RENT』だったことを認め、ジョナサンの仕事に大きな刺激を受けてきたと語っている。リンのデビュー作である『イン・ザ・ハイツ』は、彼が自らのルーツに向けて作った『RENT』だったと言われている。
したがって『tick, tick… BOOM!』は、ミュージカルをただ映画化したものではなく、ジョナサンがこの世に遺したものを、そして彼が生きた時代を記憶し、語り継ごうとする作品なのだ。同時にすべての創作者や、夢を追う人々すべてを、その過去と未来を寿ごうとする作品でもある。たとえ今がうまくいかなかったとしても、彼らの仕事は数十年後の世界を変えているかもしれない、と。

映画ファンには俳優としての印象が強いであろうリンだが、本作では(カメオ出演シーンはあるが)演出の仕事に専念。胸躍るミュージカルからシリアスな会話までを丁寧に扱いながら、ジョナサンへの敬意はもちろん、演じることや歌うこと、舞台への愛情を作品に刻み込んだ。初監督作らしく、演出的な意欲が前面に出すぎた場面や、ペース配分の引っかかりは見受けられるものの、全編にみなぎるエネルギーが映画を牽引する。楽曲や音響演出も含め、ぜひ映画館の優れた環境で味わってほしい。
ジョナサン役のアンドリュー・ガーフィールドは、様々な作品で証明してきたように、人物の胸中を丁寧に、時には驚くほど大胆な演技で表現。歌唱の説得力も十分で、トニー賞に輝いた『エンジェルス・イン・アメリカ』に続き、演劇的なパフォーマンスとの相性は抜群だ。スーザン役のアレクサンドラ・シップ、マイケル役のロビン・デ・ヘススらのアンサンブルも魅力的で、ヴァネッサ・ハジェンズも久々にミュージカル・ナンバーをじっくりと聴かせてくれる。
ちなみに最後になってしまったが、本作は『ハミルトン』のリン=マニュエル・ミランダ、『ディア・エヴァン・ハンセン』のスティーヴン・レヴェンソンという、現代のブロードウェイを代表する二人がタッグを組み、ジョナサン・ラーソンという才能と時代を超えた共作を実現した一本でもある。リンとレヴェンソン、それぞれの作風や特徴がにじみ出ているところも見どころだ。
たとえば、ジョナサンを取り囲むコミュニティの描き方にはリンらしさが見て取れるし、『イン・ザ・ハイツ』と同じく“電気”が要所でカギを握るのも興味深い一致だ(原作舞台にこの要素はない)。レヴェンソンの脚本は、ミュージカルに濃密な人間ドラマを描き込む筆致や構造の巧みさが今回も冴えており、心理描写の細やかさは『ディア・エヴァン・ハンセン』にも近い。現代ミュージカルの鬼才ふたりによるコラボレーションとしても、本作はきわめて貴重かつ重要な一作だ。
Netflix映画『tick, tick… BOOM!:チック、チック…ブーン!』2021年11月19日(金)より独占配信開始。一部劇場にて11月12日(金)より公開中。